
22-2 七香齋主人

22-3 自省

22 組印
「七香印」と箱書きする木製の小箱に入る。水晶印で南静山作。南(一八五三―?)は名は保、備後福山の人。大阪に住す。南岳友人。南の『山壽堂印譜』(一八九一)にこれらの印影を載せる。『山壽堂印譜』序文は南岳の撰で、そこに南の篆刻につき「尤長于水晶印」といい、「刀法純正、韵致秀潤」と称する。『泊園文庫印譜集』解説一七九頁参照。また多治見久太郎編『定武楼印纍』(一九〇九年)の南岳序文に22-1と22-2を捺印する。『泊園文庫印譜集』解説一八一--一八二頁参照(17,18,19,20,21,22は同一箱)

22-1 恆字君成
組印。「七香印」と箱書きする木製の小箱に入る。水晶印で南静山作。南(一八五三―?)は名は保、備後福山の人。大阪に住す。南岳友人。南の『山壽堂印譜』(一八九一)にこれらの印影を載せる。『山壽堂印譜』序文は南岳の撰で、そこに南の篆刻につき「尤長于水晶印」といい、「刀法純正、韵致秀潤」と称する。『泊園文庫印譜集』解説一七九頁参照。また多治見久太郎編『定武楼印纍』(一九〇九年)の南岳序文に22-1と22-2を捺印する。『泊園文庫印譜集』解説一八一--一八二頁参照<br/>(17,18,19,20,21,22は同一箱)

24-3 玄香
南岳先生之屬 可亭信 于時七十九

24 組印
羽倉可亭作。「七香印」と箱書きする木製の小箱に入る。三印の側款は互いに連続する。羽倉(一七九九―一八八七)は、名は良信、京都の人。稲荷神社の祠官で、歌人羽倉信郷の孫にあたる。本印は明治十年(一八七七)の作。羽倉はかつて御璽六顆を刻し、有栖川宮の寵遇を篤くした。印譜集『可亭印譜』(一八九六)があり、南岳『不苟書室日録』甲部第十冊に「書可亭翁印箋後」を収める。また、南静山『山壽堂印譜』(一八九一年)冒頭の南岳序文に二四―二と二三―三を捺印する。『泊園文庫印譜集』解説一八〇頁参照。南岳愛用の印章と思われる。

24-1 醒狂子
南岳先生之屬
組印。羽倉可亭作。「七香印」と箱書きする木製の小箱に入る。三印の側款は互いに連続する。羽倉(一七九九―一八八七)は、名は良信、京都の人。稲荷神社の祠官で、歌人羽倉信郷の孫にあたる。本印は明治十年(一八七七)の作。羽倉はかつて御璽六顆を刻し、有栖川宮の寵遇を篤くした。印譜集『可亭印譜』(一八九六)があり、南岳『不苟書室日録』甲部第十冊に「書可亭翁印箋後」を収める。<br/>また、南静山『山壽堂印譜』(一八九一年)冒頭の南岳序文に二四―二と二三―三を捺印する。『泊園文庫印譜集』解説一八〇頁参照。南岳愛用の印章と思われる。

24-2 恆印
可亭信

28-2 十日錬一句 五日磨一字

28-3 奚疑
雪漁

28 組印
羽倉可亭作。南岳『不苟書室日録』乙部第二冊、明治十四年(一八八一)九月二十九日の条で28-2と28-3につき「可亭翁奚疑二字、十日錬一句五日磨一字十字二顆、最佳、老練之功可喜」と述べる。28-3の側款にある「雪漁」は明末の著名な印人何震の号であり、本印はその印石を使ったのであろうか。

28-1 不昧者心
組印。羽倉可亭作。南岳『不苟書室日録』乙部第二冊、明治十四年(一八八一)九月二十九日の条で28-2と28-3につき「可亭翁奚疑二字、十日錬一句五日磨一字十字二顆、最佳、老練之功可喜」と述べる。 側款にある「雪漁」は明末の著名な印人何震の号であり、本印はその印石を使ったのであろうか。

29-2 南岳
石農山人作

29-3 文章千古事
石農

29 組印
中村石農羽作。中村は名は正美、南岳同郷の四国讃岐の人。『福禄寿印譜』(一九〇二年)がある。この印譜には三島中洲とともに南岳が序文を寄せている。木邨鉄畊編『雲笈印範』第四輯(一九〇二年)にこれら三顆の印影を載せている。『泊園文庫印譜集』解説一八三頁参照。

29-1 字曰君成
南岳先生屬 石農成作
組印。中村石農作。中村は名は正美、南岳同郷の四国讃岐の人。『福禄寿印譜』(一九〇二年)がある。この印譜には三島中洲とともに南岳が序文を寄せている。木邨鉄畊編『雲笈印範』第四輯(一九〇二年)にこれら三顆の印影を載せている。『泊園文庫印譜集』解説一八三頁参照。