
1A 養眞齋主書印
篆養眞齋主書印六字 贅迂生奏刀 壬寅冬十有二月之吉 時年六十有七歳
両面印。作者は円山大迂(一八三八―一九一六)。大迂は。著書に『篆刻思源』(一八九九年)、印譜集『学歩庵印蛻』・漢詩集『学歩庵詩鈔』・画集『学歩庵画譜』からなる『学歩庵』三集(一九二二年)がある。『泊園文庫印譜集』所収の陳波論文参照。 本印は明治三十五年(一九〇二)の作。円山は南岳の友人であり、内藤湖南とも親交があった。「養真斎」は大村屯(一八四六―一九一三)の号。大村は尾張藩士で字は為善、号は楊城。明治四年陸軍権曹長に任じ、累進して歩兵少佐となり従五位勳四等に叙せられた。書家としても著名である。『南岳先生撰文墓碣銘集』に墓碑文「大村楊城墓」がある。本印は大村が南岳に贈ったものであろう。

1B 倚南窗以寄傲 樂琴書以消憂
片面歸去來賦中句 係故楹三之作者 大迂志

15-1 藤澤恆
木製小箱に収められる。15-3は連印。側款にいう「絹州」とは阿部縑洲(一七九三―一八六二)のこと。『七香斎文叢』(LH2*甲*21)に収める「祭縑洲先生文」によれば、文久元年(一八六一)、二十歳の南岳が晩年の縑洲を訪ねた際「手雕之印六七石材銅材」を示されたという。おそらくこの時に送られた印章なのであろう。阿部は名は温、通称は良平、四国讃岐の人。東畡友人で南岳の庇護者。詩文書画のほか篆刻に巧みであった。東畡に縑洲の印譜に寄せた跋文「書良山堂印譜後」(『東畡先生文集』巻九)あり、文政十二年(一八二九)作。郷純造編『法眼居印賞』巻二(一八九八年)南岳序文冒頭に15-4を、序文末尾に15-1と15-2を捺印し、小山雲泉『千字問百顆印譜』(一八八六年)の南岳序文に15-3を捺印する。

15-2 君成氏

15-3 恆 君成
絹州篆 共五方

15-4 又日新

16_1 南岳印
戊午新正作

16_2 仙陵野老
煙津藤本節

16_3 馨香
丁巳夏日 其雲山人刀

16 組印
木製の小箱に入る。箱書に「黄臘印材」と南岳自筆で墨書する。裏には「七香齋愛玩」と南岳自筆で墨書し、「南岳」(白文)「九九山人」(朱文)の連印を押す。南岳愛用の印章。16-1、16-2は大正六年(一九一七)藤本煙津の作、16-3は大正七年(一九八一)雨宮其雲の作である。藤本煙津(一八三八―一九二六)は播磨神埼郡福崎町(兵庫県)の人。名は節二。神埼郡役所を致仕後に大阪に居住し、日本画と篆刻にすぐれた才能を示した。雨宮其雲(一八六三―?)は中井敬所門人で、印譜集『真楽軒華甲寿譜』上下冊(一九二三)がある。ともに南岳友人。

16-1 南岳印
戊午新正作

16-2 仙陵野老
煙津藤本節

16-3 馨香
丁巳夏日 其雲山人刀